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寺邑 昭信「形式的告示について-初期ハイデガーの方法論」Webで読むハイデガー論(002)

 

タイトル:形式的告示について-初期ハイデガーの方法論

筆者:寺邑  昭信

発表媒体:

発表年度:n.a.

URL:http://ir.kagoshima-u.ac.jp/bitstream/10232/16079/1/AN0004083X_v46_p169-189.pdf

お勧め度: ■■■

寸評:形式的告示の使用例を集めたところは参考になる。

 

 

 

形式的告示について-初期ハイデガーの方法論

寺邑  昭信

 

1976年のハイデガー全集刊行開始以来, 早く も20年以上の年月 が経過した。ハイデガーの生前,一般には閲覧しがたいものであった初期フライブルク講義は, 現時点では第62巻をのぞき,当時の学生の筆記ノートによるものが中心とはいえ,全集版で我々が手にしうるものとなっている。

1919年の戦争短縮学期講義『哲学の理念と世界観問題』に始まり,マールブルク転出前の1923年の 『存在論(事実態の解釈学)』 に至る初期フライブルクでの講義は,ハイデガーが教授資格論文までの純粋論理学者としての立場を乗りこえあるいは徹底化し, (あるいはカトリック(普遍)からプロテスタント(価) の立場へと移行し)すでにその教授資格論文の結語で「生ける精神」として登場した歴史的具体的な人間の存在,事実的な生の範疇構造を,デイルタイ等の影響のもと,宗教的な生,とりわけ原始キリスト教的な生に重点をおきながら根源的に捉えようとして格闘する様を,また「十字架の神学」(ルター)に対する「恩寵の神学」の背後にあるアリストテレスの存在論との対決および摂取を如実に伝えるものとして,ヤスパースの『世界観の心理学』への論評やいわゆる『ナトルプ報告』 (1923年)も含め『存在と時間』の理解を深めるために不可欠の資料群をなしている。

この時期のハイデガーの思索は,   『存在論』 の序言の言葉, 「探求における同伴者は若きルターであり,手本はルターが嫌ったアリストテレスだった。刺戦を与えたのはキルケゴールであり,見る眼を与えたのはフッサールである。」(GAGS/5)が示唆するように,異なった伝統が混じりあって,新たな形態を生みだそうとする流動性を帯びたものといえるが,とにかくこの時期のハイデガーにとって,哲学とは,もはや既存の学派の哲学でも世界観哲学でもなく,理論化される以前の事実的な生の直接的体験に迫り解明し,ひいては自分自身の在り方に転換をもたらす学,根源学なのである。またこの根源学が解明しようとする事実的な生は,歴史的な動きを持つて自己を展開して行く動的な存在であり,物を扱うような仕方や,意識体験を記述しようとする仕方,あるいは婦納法的な分類という仕方では覆われてしまうのである。ハイデガーはすでに教授資格論文の結語で,理論的態度を相対祝していたが(GAl/406), この時期には理論的態度に対する理論以前の在り方の優位を明確化し,とりわけ各種の理論的態度は,生から離れた客観へと態度をとるeinstellenことにより,認識対象への生き生きした関係を中止してしまいeinstellen (GA60/48参照),生をその根源から理解するよりも脱一生化Ent-Iebung (GA58/75r.)してしまうと主張している。そこで根源学としての哲学がその固有の対象である事実的な生,あるいは自身の真の姿をどうやって的確に捉えうるのか,という方法の問題が,この時期のハイデガーの重要な関心事であり続けることとなるのである。

またこの根源学の解釈の遂行を方法的に担うのが, 「前理論的な根源学」の別名でもあるハイデガー流の現象学であり,この現象学は,あるいは理論的態度による生の経験の歪曲の回避に専心し,あるいは理論化によって隠蔽された生の本来の姿を明らかにするために解体を行うことにより,事実的な生に迫ろうとするのである。コヴァックの言葉を借りるなら「根源学としての哲学は「内容」つまり生と世界についての観念の体系なのではなく,生きられた理解に与えられるものの「生の流れ」を開示し暴露し出会うための「方法」」 (RH99)なのである。

さてそうした事実的な生への哲学的アプローチを目指す中,この時期には,也界内存在,有意義性,本来性と非本来性の二分法,時熟,カイロス的および通俗的な時間など後に『存在と時間』 において中心的となる実存範疇の多く,主観一客観以前の非人称的事態を表す「世界がある」 Es weltetといった表現,生起reignis等の概念,気遣い-と発展的に姿を変えて行く心労Beknmemg,  あるいは頽落の原型のルイナンツといった表現,さらには現象学的解体の構想(フアン・ブ-レンは,ハイデガー現象学的解体の解体概念が,当時彼が取り組んでいたルターのdestructioに遡ることを指摘している(RH167f.))等が,しかもその早い時期に登場していることが注目される。と同時にまた,この時期に頻繁に使用されているものの,  『存在と時間』ではほとんど姿を消してしまう概念も目につくのである。その中でも,特に気になるのは,特定の実存構造を示す言葉ではなく,当時のハイデガーが事実的生の解釈の義手の方法として用いている「形式的告示」 formale Anzeigeという表現である。この言葉は,   『存在と時間』 にはこの形では一カ所登場するだけであり,また筆者の学生時代には主題的に取り上げられることのなかったものである。

この表現に関しては古くはレ-ヴイツトが 『ハイデガー 乏しき時代の思索者』において, 1923年の講義『存在論(事実態の解釈学)』に関連して触れてはいるが,ごく簡単をものである。 (L/73) 60年代に初期フライブルク講義のノートを目にし得たペゲラーは『マルチイン・ハイデガーの思索の道』  (1963年)の中で,形式的告示がまとまって扱われている1920/21年冬学期の 『宗教の現象学入門』 を取り上げているが(Pl/36f.),そこではカイロス的時間概念の問題が重点的に取り扱われており,形式的告示については(第二版の後書きでは言及きれるとはいえ第一版では)全く触れられていないのである。また,茅野教授の浩翰研究書『初期ハイデガーの哲学形成』   (1972年)には,上述の『存在論(事実態の解釈学)』 についてのベッカーの報告( 『数学的存在』 1927年)が紹介されており(318頁以下),その中には, 「(ハイデガーのいう) 「形式的一指示的な概念」」についての言及が見られる。しかし, この概念の詳しい検討はされていない。

筆者が「形式的告示」という言葉を頻繁に日にしたのは1985年刊行の全集61 巻においてであり(拙稿『哲学と事実的生』参照),この概念についての本格的言及が目立つようになるのは,この言葉が登場する初期フライブルク講義の行きれ始める80年代後半になってからと思われる。例えばガダマ-は 『マルイン・ハイデガーの一つの道』 の中で「我々のすべてが,ハイデガーが彼の初期の著作で「形式的告示」と述べたとき,彼はすでに彼の思索の全体に対して効力を持ち続ける何かを定式化したことを学び直すべきなのである。ここで問題なのは彼の思考の企ての全体にとって決定的、なものである。」 (RH33)とハイデガー哲学にとってのぞの重要性を指摘している。またペゲラーは 『ハイデガーの論理学研究』 の中で,初期のハイデガーが生の連関,体験の絶対的な中断や脱生化あるいは理論的な固定化に対抗して生の事実態に関わって行く方法として「形式的に告示する解釈学」 (P2/82)を構想したことを述べ,その展開のあとを辿っている。さらにキシールは『クリスチャンへの途上のハイデガー1920-21』 において「哲学-の永遠の入門としての自己理解-の集中的な現象学的練習の主要な術語は「形式的告示」ということになるのであり,それはハイデガーが1919年の戦争短縮学期に彼の一生にわたるトピックへの突破を行って以来,彼の解釈学的方法のまさに核であり続けたものである。」(RH177)と述べている。

これらの指摘から我々は, 「形式的告示」は,当時のハイデガーにとり,彼の哲学の中心的な方法概念なのであり,またそれは初期フライブルク時代に形を取り始めたものであったことを知ることができる。とはいえ,初期フライブルク講義では,なるほどこの「形式的告示」という言葉は(とりわけ第61巻で)頻繁に用いられているものの,講義は事実的な生の動的構造の具体的解釈を狙いとして展開されているためか,その方法としての「形式的告示」自体についての主題的な説明は,第60巻所収の 『宗教の現象学入門』 の前半部分をのぞけば, 見られないのである。そこで本稿は,初期フライブルクでの講義に散見する「形式的告示」についての発言を手がかりとしながら, 「形式的告示」がどのような方法なのか,その一端を明らかにすることを試みようと思う。

 

 

以下、多くの引用が読める。最後は結論部分の一部。

 

以上, やや長すぎたが, 初期フライ ブルク講義での「形式的告示」 についての発言のいくつかを三つのグループに分けて引用した。最初のグループは,ハイデガー根源学の対象である事実的生に関する規定を形式的告示的に述べている具体例である。ここでは例えば,世界内存在,実存,あるいはルイナンツといった方向性をもつた表現が,解釈の対象である現存在の在り方の先把握に基づいてまずもってその全体を名指す形式的告示的定義であることが分かる。『存在と時間』 では,形式的告示に類した表現はほとんど登場しないとはいえ, そこで現存在の動きを表すべく採用されている様々な規定も,先把握に基づく解釈の出発点を示す形式的告示的方法による定義と考えてよいであろう。

次に第二グループであるが,ここではそうした形式的告示の「形式的」ということの意味説明を中心にして:形式的告示自体が事実的生に迫るための方法, とりわけ着手の方法であること,そしてこの方法は,告示されたものを具体的に規定された姿で示すのではなく,あくまでその内容に関しては未決の状態に保つたまま空虚に示すこと, しかもそれは以後の具体的充実,解釈の遂行ための方向を拘束的に示すものであることが述べられている。

 

次に第三の引用グループであるが,ここでは形式的告示のもう一つの働きとしての「予防的機能」あるいは「禁止的性格」が語られている。それは確定した内容を示さないことによって「特定の実存理解への頼落」, 「自然的で理論的構え的な態度への落下」, 「何らかの哲学的立場から借用された理論的に概念的な先意見や規定」を予防するというのである。ハイデガーによれば 事実的な生の解釈は常に,誤った解釈,不適切な表現手段によりねじ曲げられる危険を有しており(GA9/6参照),そうした解釈の歪曲,固定化をさけるためにも,事実的生の在り方の告示は形式的でなければならないというのである。それは告示の真の充実は,既成の理解枠の援用によってではなく,実際に告示されたものが生きられること,各人がそれを我がものとすることによってのみ可能ということでもある。

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本稿は, 「形式的告示」の基本的特色の素描を試みたにすぎない。 それは内容意味への,あるいは現前へのとらわれを予防し,関係意味,遂行意味にスポットを当て実存のダイナミズムを言葉にもたらすための出発点となる方法であった。この「形式的告示」の方法の具体的な遂行過程を辿ること,この形式的告示という方法を意識しながら『存在と時間』を読み直すこと,フッサールの志向的意味概念との構造的類似関係の究明などが,この方法をさらに理解するために重要と思われるが,それらは今後の課題としたい。

 

 

 

淺野 章「若きハイデガーの業績」--Webで読むハイデガー論(001)

タイトル:若きハイデガーの業績
筆者:淺野 章
発表媒体:日本大学大学院総合社会情報研究科紀要  No9,391-401
発表年度:2008年

URL:http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf09/9-391-401-Asano.pdf

寸評:ハイデガーの学生時代から教授資格を取得するまでを簡潔に紹介。茅野良男『初期ハイデガーの哲学形成』(東京大学出版会)はさらに詳しいが、Webで読めるのは便利。
お薦め度:■■

 内容は、ハイデガーの初期の思想形成を簡単にまとめる。『心理学主義の判断論』につても、『ドゥンス・スコトゥスの範疇論と意義論』についても、ごく短い紹介にとどまる。筆者のこだわりは、ハイデガーにおける神学と哲学の関係にあるらしい。引用してみよう。

   中世哲学に対するハイデガーの関心の深さに注目するのは、単に教授資格論文の冒頭に記されている中世哲学研究の現状あるいは中世哲学への誘いといった表面的な事態についてではない。問題はハイデガー自身の存在の根底に関わる重大性を帯びたものである。
 言ってみれば、哲学者ハイデガー誕生の秘奥である。

  神学から哲学への転換。さらに、神学と哲学、あるいは、宗教と哲学との峻別。およそ、これらの問題について、思想史の上からもっとも深刻に問われたのは、 中世においてその嚆矢とする点において異論があるとは思えない。もとより、思想上の枢軸が神中心から人間中心に転換することによって、必ずしも中世に限定 しえない性格のものとして、近代以降においても、神学と哲学、あるいは宗教と哲学をめぐる深刻な問題は問われているといわれるであろう。


  同じ深刻さについてみても、中世のそれは桁外れに重大な意味を持つていた。少なくも一身を賭するほどのものであった。それほどに教権の力は強大であった。 これに対抗した政権によって哲学は庇護された、その端的な例をオッカムに見出すこともできる。しかし、中世きっての神学者であり哲学者であったトマスにし てもスコトゥスにしても、異端の宣告を受け、あるいは政権による追放に処されてもいる。


 思想の自由が如何に貴重なものであるか、 まさに先人の血によって贖われてきた人類の遺産の上に築かれたものである。この意味において、自由の観念は著しく近代を特色付けているといわねばならな い。然るに、スコトゥスの思想の内にはすでに自由の考察がなされている。既に見たところでもある。


 自由のみではなく、ドゥン・ス コトゥスの考えには、近代のみではなく現代においてもなお関心を呼ぶ発想が見られる。まさに、この点においてこそ、ハイデガーが、教授資格論文として、こ れに向かおうとした姿勢のそもそもの動機の発端というより、その根底をなしているものがあるのではないかという見解を持たしめるものがある。

 


 ただしこの指摘にはあまり同意できない。ハイデガーの問題意識はもっと別のところにあるように思える。ハイデガーにとってこの時期に神学が重要な意味をもっていたのはたしかであるが。

神 学から哲学への転換。これなくして哲学者ハイデガーはない。ハイデガーの両親に青天の霹靂を見舞ったフライブルク大学神学部から哲学部への移籍。後年、キ リスト教とギリシャ哲学とのかかわりについて言及する際に決まって引用する、パウロの言葉。「この世の知恵を愚かなるものとした」知と信の峻別。神を臨み つつ哲学者として全うしたその生涯。ここには、中世的背景によって理解を容易ならしめるものがあるとともに、著しく現代的な一面の認められるところでもあ る。


 あえて言えば、中世の思想の辿った道、あるいは、中世哲学形成の歴史、この途上における重要な分岐点、それはまた、中世哲学 の頂点に達したと看做される一大特色を呈しているのが、ほかならぬ、ドゥンス・スコトゥスであり、そこにハイデガーの関心の先駆性を定着してみることも可 能であるように思われる。